日本企業の海外進出をサポートする株式会社ジェイシーズの田中秀彦氏に、ご自身の海外駐在歴20年に渡るご経験をお話しいただくシリーズ2回目。今回は、「駐在先での出産と子どもの教育」をお届けします。

 

駐在先での家族の出産

出産入社3年目、結婚して直ぐの1985年に赴任したのはドイツ・デュッセルドルフでした。当時、デュッセルドルフは人口約60万人の都市で日本人が約6千人と人口の1%を占めていました。100人に一人は日本人という諸外国でも例を見ない日本人比率の高い町です。今でもその数字にあまり変化はなく、日本の領事館、商社、銀行などのオフィスがある目抜き通りは日本人が多く往来しており、その通りを歩くとドイツ人の方がマイノリティではないかと感じることもありました。

 

日本人学校、日本語の通じる医者、歯医者、日本料理店も多く、日本食材を扱う店にいたっては、隣国のオランダの駐在員などが買い出し来るほど充実しており、景色こそドイツでありながら日本と遜色ない生活が出来る快適な町でした。

住宅手当について話しますと、家賃補助は日本の基本給をベースに計算するため、入社3年目の給与が低かった私は、日本人学校周辺の駐在員が暮らす高級な住宅地域には住めず、郊外にあるアパートに住居を構えることになりました。幸い会社も郊外にあり通勤は車で5分、空港までも10分と便利な所ではありましたが、日本人はおろか外国人も住んでいない地域でした。そのような環境で妻は直ぐに友人が出来る事もなかったので、週5日ドイツ語を学び、ドイツ語もある程度不自由なく話せるようになりました。

 

駐在して3年目に妻が妊娠し、出産に備えることになりました。近くの産婦人科医にお世話になりましたが、妻は大切な説明があるとき以外は一人で通院していました。妻の血圧が低く、血圧を上げる薬を処方して頂き飲んだところ、足の小指までドキドキするが大丈夫だろうかと相談を受けた事がありました。同じ大人用でも大柄なドイツ人と小柄な日本人で同量の薬で良いはずもなく、薬の量を減らすように言ったのを覚えています。健康、命に関わることは日本語の通じる医者に診て頂けば良かったと後から思いました。

出産は女性にとって本当に大変な事ではありますが、出産に立ち会い同時通訳をした私は無事に長女が生れた喜びより、疲労困憊したのを今でもはっきり覚えています。5日程で退院、夫婦二人にとり何もかも初めての出来事ではありましたが、幸い妻の母が1ヶ月ほど応援に来てくれたので大変助かりました。当時は海外での出産について会社の補助はありませんでしたが、ドイツでの出産は無料なので、日本でかかるはずの出産費用を母の呼び寄せに充てました。

 

2年後に長男が生れた時は、私が出張中で妻は一人タクシーに乗って病院に行き出産、苦労させてしまいました。以後、その事を妻に指摘されるたびに、海外駐在において大切な場面では無理しても家族のために時間を割くべきであったと反省しています。

 

 

香港駐在中の子どもの教育

22131077トリミング二人の子供達はドイツ生まれですが、1990年10月の東西ドイツ統一を挟み、パスポート上の出生国は、娘は西ドイツ、息子はドイツです。家族を紹介する際に、息子はMade in Germany、娘はMade in West Germanyと話し、話題の盛り上げに良く使いました。

 

私が子供のころ、ドイツ滞在中にベルリンの壁が作られ、東西冷戦を目の当たりにし、多くのドイツ人同様、生きている間にその壁が無くなるとは想像すら出来なかっただけに、ベルリンの壁の崩壊は特に嬉しい出来事でした。

1991年にドイツ駐在を終え、日本に帰国し国内勤務となったかたわらで子供達は日本の私立校に通うようになりました。1996年に次の赴任地が香港に決まり、子供の教育を日本で続けるか悩みましたが、二人が通う学校に2年間の休学を認めるシステムがあったため、その2年間を区切りとし帯同にしました。

 

学校の選択は日本人学校、現地校あるいはインターナショナルスクールとなりますが、自分の帰国子女経験を踏まえ、迷わずインター校への進学を選びました。その中でもあるカナダのインター校を選択したのは、週に一度、日本語の授業があった事と、学校がオフィスの隣にあったからです。

 

余談ですが、ベルリンの壁崩壊に次ぎ、1997年の香港返還、1999年のマカオ返還といった歴史的瞬間を香港で迎えるとは思いもしませんでした。

授業は英語を母国語とする生徒と一緒で、英語力の低い子供のためにESL(English as a Second Language)が普通の授業と並行して行われました。英語力でクラスが分かれないのは、英語ネイティブの学友と学び、遊ぶことで英語能力を磨く意味でも非常に良かったと思います。在籍した生徒達が多国籍だった事から、私の子供達がオリンピックなどの国際競技を観戦する際、日本は勿論、カナダ、韓国、インド等、クラスメートの母国を応援するのを見て、それだけでもインター校で学んだ価値があったと思いました。

1997年頃は私が仕事でパワーポイントを使い始めた時期ですが、子供達はコンピュータの授業で遊びながらパワーポイントを学んでいました。仕事で使う堅いプレゼンテーションとは違い、子供達はアニメーション、効果音を自由に使いこなし、フリップ、スクロール、ロール、スライドなどの動きの違いもパソコンのアニメーションを見ながら、楽しんで学んでいました。

 

娘がプレゼンテーションの課題で、時事問題として香港にディズニーランドを誘致するかコンテナヤードを建設すべきかを選択し、親子で色々議論しました。小学生低学年からゲーム感覚で自然とパワーポイントを使い、考えを纏め、プレゼンテーションをすると言う事は、素晴らしい事です。教育の方針、方法が国によって違いますが、日本も国際競争力を付ける意味でも教育プログラムを見直してはどうかと思いました。

 

海外赴任の際、家族、特に子供の教育をどう考えるかは非常に大きな課題となります。私の経験から言えるのは、親が子供に残せるのは教育の場の提供で、それが子供のその後の人生に大きく影響を与えるということです。また、言語を学ぶのも重要ですが、それはあくまでも道具であり、むしろ人種、民族の多様性を学び、許容する力を身につける事は、言語能力よりも遙かに大切だと思います。

海外駐在20年のプロフェッショナルが語る「ドイツ現地校体験談」

 

 

2106 プロフィール画像|h-tanaka02

著者:田中 秀彦 (たなか・ひでひこ)
株式会社ジェイシーズ  上席執行役員 海外事業展開・戦略アドバイザー
大手精密・光学機器メーカーNikonにおいて、30余年にわたり海外ビジネスに従事する。この間、ドイツ、英国、香港、シンガポール、インド、タイなど、20年以上を海外で過ごし、特にドイツ、英国、インド、タイでは現地法人のマネジングディレクター(社長)を務めた。営業、マーケティング、事業企画といった領域を本職とするも、中国工場の設立や、インド法人をまったくのゼロベースからたった独りで立ち上げるなど、業務領域の垣根を越えた多彩でタフな一面を持つ。2017年6月より株式会社ジェイシーズに参画。豊富な見識と広範なネットワークを活かし、日本企業の海外展開を支援している。

 

株式会社ジェイシーズ  https://j-seeds.jp/

連絡先:contact@j-seeds.jp 

 

 

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